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マタニティマークの使用控えのニュースにがっかり!弱者にやさしい社会へ願うこと

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つい先日、新聞でこのような記事を目を見にしました。

「マタニティマークが以前より小さくなり、いろいろな人への配慮から使用控えが進んでいる」というニュース。

マタニティマーク、知っていますか?妊婦さんがカバンなどに付けるキーホルダーのようなものです。

わたしはこのニュースを聞いて、びっくりしました。

なぜなら、長男を妊娠中のときはマタニティマークが小さすぎて見えない、下の娘を妊娠中のときは、改善されて一回りも二回りも大きくなっていたという記憶があります。

それがまた小さくなったそうです…。

大きくなったり小さくなったり、まるでドラえもんの道具でも使っているみたい。いったいどうなってるのでしょうか。少し考えてみました。

マタニティマークの意味と意義

マタニティマークとは、厚生労働省が推進し、『妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの』です。

妊婦さんが電車で座れず辛い思いをすることがないように、妊婦さんへの優しい環境を促すために作ったものなんですね。
万が一になにかあったときに、マタニティマークがあれば、救急隊が適切な処置をすることもできるというような役割もあります。

わたしは、漠然と「妊婦さんとお腹の赤ちゃんのためのお守り」というような感覚でカバンにつけていたのを覚えています。

見た目には気が付かれない妊娠初期の辛さ

妊娠初期のころは、見た目には全く妊婦とはわかりませんが、赤ちゃんの成長とお母さんの健康のためにとても大切な時期です。さらに、個人差があるものの酷いつわりに悩まされるのもこの時期。

周りに妊婦と気づかれない妊娠初期こそ、マタニティマークをつける意義と意味があるといえそうです。

周りの人への配慮というのはあるけれども…

マタニティマークの使用控えが広がっている背景の一つに、周りの人たちへの配慮ということがあります。つまり、不妊治療を受けていたり、子どもが欲しくでも授からない人たちへの配慮ということです。

言われるとなるほど、とは思いますが、そこまで気にしなければいけないものなんでしょうか。

晩婚化に伴い、高齢出産が進んでいる今は、不妊治療を受けている人はたくさんいますし、子どもを授かりたくてもできない夫婦がたくさんいるのは事実です。

子どもが欲しくてもできない直接の知人がいて、その事実を知っているのに、わざわざ妊娠した旨を喜んで報告したら、それは自慢を通り越して人を傷つける最低な行為です。

でも、道行くすれ違うだれかもわからない人にわざわざ配慮する必要があるのでしょうか?

職場に不妊治療をしている人がいて、自分がマタニティマークをつけていったら、それは、幸せ自慢になってしまうのでしょうか?

そんなこと言っていたら、子ども連れで外を歩けなくなりますよ。そういうレベルと同じことです。

背景ではSNS社会の広がりがある…

そういうことを配慮して、マタニティマークの使用を控える人が多いというのは事実です。それは、個人の考えという枠組みを超えて、今の世の中にはそういう風にとらえられてしまうような風潮があるからです。

例えば、Facebook。
誰かが「どこに行って何をした」という投稿に対して、「リア充の幸せ自慢お疲れおつ!」というような感想しかいだかない人いますよね。実際に、全くの他人にそういうコメントをする人もいっぱいいます。
そういう人たちは、きっとどこに行って何をしても同じ発想。嫉妬と妬みとネガティブな発想、悪口で頭の中がいっぱい。そんなくだらないことに労力をつかっていて、可哀想ですね。

しかし、悲しいことに、こういう考えの人たちが変に目立っている世の中なんです。SNSで誰にでも気軽に意見やコメントできる(ネガティブなことも)ことが要因の一つです。

今のこういう社会風潮、大嫌いです!

さらに、妊婦だというだけで攻撃の対象になることも

信じられないような話ですが、妊婦だというだけで、電車の中で暴言を吐かれたり、攻撃の対象になったということも耳にします。

恐怖です。
これでは、ますますマタニティマークは本来の意味を達成するどころか、つけづらいモノですね。

でも、思うんですよ。

好きなこと、幸せなこと、素晴らしい体験、これから生まれる大事な命を守りたい気持ち。

声を高々にして、言ってもいいじゃないですか。

こういうことを主張しても、攻撃されない世の中をわたしは望みます。

弱者にやさしい社会にするためには…

今の日本の世の中って人との距離感がすごく遠く感じます。外国に行くと、国ににもよりますが、距離が近いですよね。

ここで表現している「距離感」というのは、人と人との物理的な距離ではありません。(それもありますが…)
気軽に話しかけたり、何か困っていることがあったときにとっさに手を差し伸べるようなできる距離感のことです。

都会に行けば行くほど距離感は遠くなるのは顕著です。田舎者出身のわたしが身をもって体験しています。でも田舎や、なぜか日本でも西日本のほうにいくと、距離感が近いなと感じることが多いです。

困っている人がいたら自然と手を差し伸べることができる雰囲気、優しさ、そういう世の中になってほしい。

今回のしょうラヂオ。

この際、マタニティマークは大きくても小さくても、あってもなくてもどちらでもいいです。

辛い思いをしている妊婦さんが不遇な目に合うことなく、一人でも多くの妊婦さんが幸せなマタニティライフをおくれることを私は望みます。困っている人には手を差し伸べたい、こういう表現をすると偽善者っぽくなりますが、不用意に攻撃したり、必要な人がいるのに席に座り続けたりはしたくないです。

札幌からしょう(@syoradio1)がお届けしました。

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