今回の記事は、わたしが思う「おとな」(そして、「こども」)ということに対してです。
人気ブロガーによる合同メルマガ『Edge Rank』による共通のテーマが『おとな』で、自分が思うことを記事にしてみました。
都合よく、『おとな』『こども』と使うのをやめてみませんか?
子どものころ思っていた大人と現在の自分がかけ離れている点
子どものころ漠然と思っていたことがあります。
大人になったら、子どもだからできないことは、できるようになる。大人になったら、自分の中身も大人になる。
例えば、わたしの母は料理も裁縫も素晴らしく得意でした。
わたしも大人になったら、自然に母と同じように料理もお裁縫も得意になると信じていました。こういうあいまいで漠然とした思いと願いが積み重なり。
だけど、成長したのは見た目だけ。(それも、小柄なわたしはこじんまりとした成長…という)
私って成長していないの?
大人だから、何かができるようになるわけではない。
年月をかけて努力したこと、繰り返し行ったことがが身となり血となり、自分を作り上げる。
大人になったからって、突然に何かができるようになるわけではない。
「こどもだから…」って言いがちだけれどもそれって本当にあってる??
「こどもだからそれはダメだよ。」「こどもにはできないよ。」
子どもにはまだ難しいよ。こどもには危ないよ。
3児の母として言いがちな言葉です。でも、自分で言い放っていてふと疑問に思うこともあるのです。
この言い方は、
「女だからダメ!」と、藪から棒に決めつけで言っているのと同じ。
「子どもだからだめ」というのは、わたしの厳しめのフェミコードにも引っかかる言い方と同じではないのか。
子どもも大人も一人の人間。
子どもの人格を認め、決めつけないこと。
不用意な決めつけが、可能性や体験から学ぶ経験の機会を奪っていることもあるのです。
これは、以前の記事でも同様なことを書いています。
「おとなだからいい」という言い訳もしたくない
「子どもだからダメ」という勝手な決めつけも気をつけたいですが、同じくらいに気をつけたいのが、「おとなだから…」という言葉です。
「大人だから…」ということを言い訳にして、都合よく物事を解釈してすすめたくありません。
今回のしょうラヂオ。
「子ども」と「おとな」、法律的な区別や体の成長の違いはもちろんあります。
しかし、「子ども」も「大人」も能力や精神的なもの考え方は、その人がどのような過程や経験を積んで歩んでいくかによって決まるのです。
都合よく「大人だからいい」、「子どもだからダメ」という言葉を使ったり考えたりするのは好きではありません。
子どもにも当たり前ですが、子どもとしてではなく一人の人間として判断する、自分にも「大人だからいい」という言い訳をしないで、日々暮らしていきたいものです。